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フルタイムでも共働きでも、ゆるゆるとマイペースに暮らしたい。

「あなたみたいな人でも、結婚できる可能性があるのよ」

昨年、天狼院書店のホームページにて、公開していただいた記事です!

せっかくなので、こちらにも転載。 普段と文章の感じが違うので、ちょっと恥ずかしいですが。

 

あなたみたいな人でも、結婚できる可能性があるのよ

今から12年前、見知らぬ女性に、突然言われたことがある。

「あなたみたいな人でも、結婚できる可能性があるのよ」

 

苦い苦いワインを飲んでいたら、そんな昔のことを思い出してしまった。

そのワインは、知人から譲っていただいたものだった。農家で育てているマスカットの中から、見た目が悪くて販売できないものを、近所のワイナリーで白ワインにしてもらったらしい。 家で一人ゆっくり味わおうとグラスに注いだところ……それはそれは、苦かった。 確かに、「ワイン用の品種じゃないし、そんなに美味しいもんじゃないけど」とは言われていたけれど、それにしても苦くて飲むのがつらかった。

せめてグラスに注いだ分だけでも飲み切ろうと、あー苦い苦いとぶつぶつ言いながら、ちびちびと飲んでいた。 そうしたら、その透明な液体が、なんだかだんだん愛おしくてたまらなくなってきたのだ。

 

私はマスカットが大好きで、旬になると必ず買ってきて、家で一粒ずつ、わくわくしながら食べる。 冷蔵庫にマスカットがある! と思うだけで、ちょっとテンションが上がる。 この苦いワインになったマスカットも、本当は、立派な箱に入れられてデパ地下の青果店に並ぶはずだったにちがいない。 もしくは、ケーキの上にちょこんと乗って、子供たちを喜ばせていたかもしれない。

でも、実際には、こうやって透明の液体になって、ワインに詳しくない人間に、あー苦い苦いと思いながら飲まれている。 現実は残酷だ。 なんて悲しいんだろう。 なんて、なんて切ないんだろう。

……と、そんなことを考えていたら、 その出来損ないマスカットが、まるで昔の自分のように思えてきた。 そこで、思い出してしまったのだ。 見知らぬおばさんの、 「あなたみたいな人でも、結婚できる可能性があるのよ」という言葉を。

 

それは、私が19歳のころ。 渋谷駅で東横線に乗りこんで、席に座ったときだった。 当時、東横線のホームはまだ地上にあって、午後の日差しが車内に強く差し込んでいた。

その車内で、隣の見知らぬおばさんから、いきなり話しかけられた。 「あなた、アトピーなの?」と聞かれたのだ。

そう。私は、物心ついた頃からアトピー性の皮膚炎に悩まされていた。 少しカサカサというレベルではなく、顔も腕も足も湿疹だらけで、誰から見てもそうだとわかる状態だった。 私は、ああ、またこういう人か、と思って身を固くした。

だいたい1年に数回くらい、見知らぬ人に声をかけられて、「かわいそう」だの「いい病院を知っているの」だの、色々と言われる機会がある。 それは、思春期の私にとって、なかなかしんどいことだった。 公衆の面前で、「あなたは誰から見ても肌が汚いですよ」「それはかわいそうなことですよ」と宣言されているようなものだったから。 だからそんな時は、いつも心を殻のようにして愛想笑いをし、その人が立ち去るのを待つことしかできなかった。

この時のおばさんの場合、知り合いのアトピーが最近治ったらしく、その治療法に関する話を延々と繰り返していた。 それは私も試したことがある治療法で、自分には全く効果が現れなかったものだった。 だから、心を殻にして、次の駅で降りて別の車両に移ろう、と決めた。 でも、おばさんはそんなことはつゆ知らず、笑顔で話しつづける。 「私の知り合いはアトピーが治って、結婚もできたのよ」 そして、あのセリフを発したのだ。

「だから、あなたみたいな人でも、結婚できる可能性があるのよ」

 

一瞬フリーズした。 身体中が、ひやっと冷たくなった。 この人は、親切のつもりで言っているんだろうか。 もし治ったら結婚できる可能性があるのよ、って。 そこには、「今のあなたみたいな人は結婚できないけれど」という前提がついている。 あまりにも自然に、さも当然のことのように。 私は、愛想笑いを硬直させ、何も言えず、次の駅で電車から降りた。

 

ものすごくつらかった。 涙も出なかった。

それは、予想外だったからではなく、自分が思っていることをそのまま言われたからだった。 様々な病院や療法を試しても、全然効果が出なかった私は、きっとこんな身体では恋愛もできない、結婚もできない、そんなこと期待してはいけない、と自分に言い聞かせながら毎日生きてきた。 そしてこの日、そのことを、見知らぬおばさんに全部肯定されてしまったのだ。

ああ、やっぱり、私は女として出来損ないなんだ、そうだよね、知ってたけどさ、と途方に暮れた。 こんな出来事も、自分の気持ちも、誰にも言えなかった。 私がこんなこと考えているなんて、親が知ったら悲しむだろうな、と何度も思った。

 

と、なかなかしんどい記憶を、久しぶりに思い出してしまったのだ。 出来損ないのマスカット、君の気持ち、わかるよ! と感情移入したせいで。 悲劇のヒロインよろしく、ちょっと目が潤んでくる始末である。

あの電車から降りた時は、涙も出なかった。 でも12年経った今なら、こうやって茶化すこともできるし、泣くことだってできる。 それは、酔っているから、というだけではなくて。 今のままの自分にも、ちゃんと生きる道があると知ったからだ。

私はたくさん悩んで、もし恋愛が出来なかろうと、結婚が出来なかろうと、それでも幸せな一生を送るんだ、と決めて生きることにした。 そのために、好きな仕事に就いた。 大切な友人もいるし、家族とも仲良しだという自信がある。 今でも、私のアトピーは治る気配がなく、 街中のあらゆる鏡からは目をそらしてしまうし、洋服選びでも露出が少ないものを選んでしまう。 でも、そういう自分の気持ちも、このまま抱えて生きていく覚悟くらいはできてきた。

 

と、思っていたら。 なんと、恋人ができまして。 そして、結婚することになったのだ。 ふふん。 大どんでん返しである。

 

あー。 この苦い苦いワイン、 あの電車で会ったおばさんに飲ませたいわ。