NHKスペシャル「村人は満州に送られた」を見る
オリンピック見ようかなーという気でテレビをつけたら、NHKスペシャルで、満州開拓団の国策に関する特集をやっていた。ちょうど、中国残留夫人の本を読んでいたところで、思わずそのまま見入ってしまっている。
「国策 71年目の真実」という副題の通り、「国策」として、どのように人々が満州に送られていたかという視点で語られる。
私は、祖母が満州から引き揚げてきたという背景があり、以前から満州からの引き揚げに関して興味を持っていた。
ただ、多くの本を読む中で感じていたのは、あくまで「体験談」ベースが多いということ。当事者が苦しみ感じた体験が残っているのはとても貴重なことだけれど、「そもそもなぜこのようなことが起こったのか」「国や組織はどう動いていたのか」として総括されている本が少ない。
そんな中、今回の特集のテーマは、「どのような国策によって満州移民が促進されたのか」。体験談を織り交ぜながらも、政府や官僚側からの視点で語られている。
番組は、長野県の下伊那郡 河野村で、「開拓民には申し訳ないことをした」と命を絶った村の有力者の話から、物語は始まる。それよりも1年前に、この村から出て行った開拓団は、終戦時にソ連軍を恐れて70名超が集団自決していた。
以下、メモ
下記は太平洋戦争が始まってから、
・農林省が「分村」を推奨。各自治体を2つに分け、「村に残る人」「満州にわたる人」で分けるというアイデア。
・農林省は各農村にパイプがあった。村の有力者に指令を出し、動員するだけの力を持っていた。
・村あたりの移民数にノルマが与えられる(河野村は50戸、というように)
・農村経営の優秀な村は「皇國農村」として高い補助金を受けることができる。ただし、村人を満州に送ることが前提。河野村にも、何度も農林省の官僚が足を運んだ。
・河野村の村長 胡桃沢氏もついに村人を満州に送り出すことを決める。村が疲弊し、貧しく、生きていくためのことと信じたのではないか。昭和18年11月のこと。太平洋戦争が始まって3年。すでに制海権・制空権もアメリカに取られていた。
・当時、役場の役員だった松村房子さん(現在92歳)は、実際に村長が一軒一軒を回るときに同行した。とても無理をして満州に行ってもらった、とのこと。
引き続き録画しているので、メモを取りつつ整理しておきたい。